其の六/縁起担ぎの灯「酉の市(新宿花園神社)」
11月の東京新宿は、江戸時代から続く「酉の市」*1というお祭りで賑わいます。
今から300年ほど前、日本はひと月に十二支がめぐる、12の曜日のもとに暮らしがありました。こうした数え方で、11月の“酉”の日に開かれる市を「酉の市」と呼び、商売繁盛を願う行事として、関東の寺社を中心に今日まで続いているといいます。
LED旋風が日本に及ぶさなか、新宿の花園神社で開かれる酉の市ではいまだ白熱灯が灯されている、との情報を耳に。その事実に驚くも、やもすると「酉の市」と「白熱灯」の間に何か深い関係があるのかもしれない、奮い立たされるように寒空のもと「酉の市」へ向かったのです。
目的の社は、新宿歌舞伎町のまさに繁華街の真ん中にありました。
主要幹線道路である明治通りからひとたび境内に入ると、目の前には大鳥居がそびえ、拝殿までまっすぐ参道が敷かれています。
この日、夕刻に訪れてみると参拝者が長い列をなし、左右には名物の切り山椒や甘酒などを売る露店がずらり。人混みをかき分けて拝殿前に進んでみれば、想像より広い大階段と、周囲のビルで切り取られた東京の薄暮の空が開けます。
そこでまず興奮するのが、拝殿前とその右面にずらーっと飾られた提灯の数々!
多くの方によって奉納された提灯が、タテヨコ行列を成して巨大な光壁をつくっているのです。そのあかりは30m先の人まで認識できるほどの明るさであるのに、とても柔らかでまぶしさは皆無。参拝を待つ方々の肌ツヤをワントーンアップさせ、老若男女みんなのお顔をほんのり染め上げているのが分かります。
おそらく普段は何もない境内で、この季節になると人々による寄進の提灯が、大迫力をもってなんとも荘厳な雰囲気を呈していたのです。それは、提灯の結集美とその面発光効果のなせる業でしょうか。
興奮状態のまま境内を奥へ入っていくと、パイプの仮構にシートの庇といった店構えで、色とりどりの縁起熊手が飾られた露店群に、視線をもっていかれます。
「縁起熊手」とは、福をかき込むという熊手に、宝船を模した注連縄が巻かれ、その上におかめ、鶴亀、大判小判、米俵、松竹梅…といったモチーフが一同に盛りつけられた熊手のこと。1年に1度、多くの方が酉の市を訪れ、来るべき新しい年の縁起を担いで新しい熊手を買っていかれるのです。
露店で挟まれた通路は、法被姿のいなせな職人さんと熊手を買い求めるお客さんで溢れかえり、至る所で成立する熊手の売買と、拍子木の音にあわせて繰り広げられる手締めで、熱気むんむん活気づいています。
そして、あたりが暗くなるにつれ気づくのは、この贅沢なまでの縁起物をより一層際立たせている、白熱クリア電球のあかりです。蛍光灯やLEDとは、明らかに違う光の印象をもち、フィラメントの輝度感と、寒空と人混みのなか灯る温かい2800Kの色温度の光は、
正真正銘の「白熱電球」です。
露店によって2〜4灯吊るされ、クリア電球の心地よいきらめきは、私たちの頭上で連鎖を起こし、バラックで建ち並ぶ露店通りに、躍動感をプラスしているように見えてきます。
手元にして照度460lx。白熱電球から放たれる光は、露店のひな壇、そして正面に飾られた熊手へと360°全方向にまわり、熊手に輝きを与えています。
赤/緑/黄/白/金…縁起熊手に彩色された色は、演色性Ra100のフルスペクトルの光によって美しい彩りを魅せ、私たちの目を惹いてやみません。とりわけ金色の輝きと翳りは、神の領域へと導いてくれているかのようです。
帰り際、勇気をふりしぼって強面の職人さんに話を伺ってみると、「蛍光灯やLEDじゃ熊手がきれいに見えないでしょ?これは伝統だから誇りとこだわりをもって白熱電球を使っているんだよっ」とのお言葉。
ということは、酉の市の白熱電球は、縁起熊手の色をお客さんにきちんと伝えるため、職人さんによって選び抜かれた光源だったということなのでしょうか…?
これが唯一の理由かどうか…はさておき、照明デザインを業とする私にとって、この職人さんのお言葉からは、大いなる力をいただけたように感じたのでした。
実際のところは、白熱クリア電球に代わるLEDクリア電球があまり実用化されていないためなのかもしれませんが、白熱電球のあかりが、私たちの心を温めてくれるのは確かなようです。
*1 酉の市
大酉祭、通称「酉の市」。起源は諸説あるが、調べてみると江戸庶民による収穫祭が発端とされている。後に都市の発生、商工業の隆盛と相まって商人の信仰も加わり、招福の縁起物で飾られた縁起熊手がにぎやかに買い求められていくお祭として、現在に至っているよう。
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