照明の在り方
このところの私は照明デザイナーとして、“癒しの照明”を得意としているらしいのです。・・・“いるらしい”といったのは、取材でそのようなテーマ設定がなされている場所に招かれることが多いために、第三者の視点にそのように映っているのかなと、単純に感じているわけです。
さて、前置きはいいとして、癒しとは逆に世の中には人をイライラさせるような照明の存在もあります。癒しの照明の裏側にある「イライラ照明」はこれまでほとんど語られることはありませんが、良い照明、快適なあかりを考える上で、一度ダメな照明・・・、イライラと照明について考察してみました。なぜかイライラすることが多いけど、原因が明確に分からない・・・というあなた、もしかしたら、その空間を取り巻くイライラ照明が大きな原因かもしれませんよ。
イライラさせる光の例
イライラさせられる照明の要素は色々ありますが、すぐに思いつくのは点滅です。特に一定の周期での点滅で、密度が高いようなものは、照明デザイナーとしても気に入らない・・・、点滅し過ぎはかなり嫌悪感があります。ずっと一定の同じ速度でピッ、ピッ、ピッとなるような、正確な繰り返しの光の点滅はちょっと機械的過ぎて気分が悪くなる感じがします。
以前、ドイツメーカーの車を運転していて、ウインカーのレバーを入れる音が実は一定ではないということに気づいたことがあります。カッチン、カッチン、カッチンとずっと同じリズムなのではなく、カッチン、カッチン、カァッチン、カチン・・・、よーく聞いていると少しずつずれているのです。
最初は車の故障かな?とも思いましたが、車検で同じ車種を代車で使った際も同様にウインカーが一定のリズムではなかったので、どうやらわざとリズムをずらしているのだと気づきました。おそらくメトロノームのような一定速度の繰り返しというのは運転者に眠気をもよおさせるので、逆にこの乱れは眠気を覚ますのもしれません。人間工学の発達しているドイツならこのような設定もあり得ます!
光と速度
そう考えると、光も単純な点滅だけではなく、光がだんだんと明るくなったり暗くなったりするようなフェードイン・フェードアウトの速度も非常に気になります。このような光を作る時も、明るくなるスピードと暗くなるスピード、さらには1サイクルの長さに、生命体のスケールに則った心地良い頃合いがあることが見えてきました。
その絶妙な頃合いを基準として、それよりも短いと見ている人は焦ってしまうような感覚になってイライラにつながってしまいます。では、点滅やスピード感のある光や照明はイライラさせるだけだから無いほうが良いのかと言うと、そうでもないと考えます。
それを逆手にとって、上手に使えば人にエネルギーを与えるような、ポジティブな空間を作り出すことも出来るでしょう。例えば、繁華街、ネオン街のような所は落ち着かなくて、雑音とともに溢れる光がざわめいていてうるさく感じるのだけど、案外そういった刺激の中に身を置くと、不思議に元気をもらったりもします。ディスコの光もそうでしょう。
私はディスコ世代でしたが、当時はそういう刺激を浴びて元気になりたくて行っていたのかもしれません。そういったちょっと毒々しいような光を限られた時間で浴びるのは、癒しとは少し違うタイプの、直接強制的にアクティブスイッチを押し、エネルギーを湧き上がらせてくれるものといえるかもしれません。暗い中で刺激的な光を浴びるフィットネスが注目されているのも合点がいきます。ただ、明るすぎるオフィス照明の光刺激は、限られた時間とはいい難いので、賛同できません。
photo by Sarthak Navjivan on Unsplash
照明は人の気分に接して作るべき
照明には、癒し効果だけでなく、人間に様々な気持ちを呼び起こさせる力があります。著書『デリシャス・ライティング』の章立てにあるように、「WAKUWAKU」「NINMARI」「FUNWARI」「SUKKIRI」・・・など。その中でも、今現在の私の大きな関心は、病気を乗り越える勇気をくれる照明とか、優しくなれる照明、といった、人間の心を温めてくれる照明です。となると、第三者の視点は、あながち間違っていなかったかもしれませんね。「癒しの照明」という表現からあと一歩進みたい!ともがいているところですが・・・。
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