投稿日:2014,07,17
ラスベガスへ
先月、アメリカのラスベガスに行ってまいりました。IALD国際照明デザイナー協会のアワードディナーに出席する目的でしたが、ちょうどこの時期はアメリカ照明器具業界の見本市である「LIGHTFAIR」が開催されます。この見本市には定期的に訪れているので、つまりはラスベガスへは二年に一度くらいのペースで来ている訳なのですが、今回はラスベガスの王道観光スポットのひとつ、フリーモントストリートの照明ショーを久しぶりに見ることにしたのです。
フリーモントストリートの軌跡
昼間のフリーモントストリート
photo by time_anchor
この照明エンターテインメント・ショー「フリーモント ストリート エクスペリエンス(Fremont Street Experience)」の歴史を紐解くと、1996年までさかのぼります。全長450メートルもある長いアーケードの天井いっぱいに200万個以上の電球が設置されており、大音響のBGMとともに、アーケードの端から端まで光で作った文字や絵が映像さながらに流れていくというスペクタクルショーだったのです。
今の時代だと、街中の映像さながらの光のショーというのはニューヨーク・タイムズスクエアや香港、上海、シンガポールといったアジアの大都市を訪れれば、高層建築物自体が映像を発していることが日常茶飯事となっています。これらの表現を可能にしたのはLEDテクノロジーだということです。しかし、当時はLEDの青色発光が実用化されていませんでしたので、そんな大掛かりなショーというのはとても珍しかったのでした。
そのためにこのアーケードは世界中で話題となりました。私もショー開始の翌年あたりに早速見に行ったのですが、初めて見たときは、その規模の大きさに驚いたのはもちろんのこと、その水面下にあるエピソードにも感動してしまいました。というのも、当時は寿命の長いLEDが台頭してくる前のことですから、すべての電飾が電球ということになります。電球は寿命が短いので、夜のショーのために沢山の電気技師が毎日すべての電球の点灯を個別に点検するという作業が強いられ、その作業が朝から晩まで続く・・・というニュースが伝えられたのでした。
その涙ぐましくも、また「そこまでやるか!」とさえ言われてしまいそうなほどの労力と意気込みに培われたショーは、世界広しと言えどもラスベガス「フリーモント ストリート」が唯一無二の場所であったのです。この馬鹿げた労力を強いながらも具現化された、大迫力のショーは見る人を圧倒し、大きな感動を与えたものでした。
先進技術の普及
さて、時代は流れて、二回目にここに来たのは2004年以降のお話です。2004年に何が起こったのかと言うと、すべての電球がいよいよLED化されたのです。ショーは依然として人気でしたが、LEDになってどう変わったのかというのは気になったので初見から8年後、またフリーモントストリートを訪れることにいたしました。二回目に見た感想としては、相変わらずそのダイナミックなショーは楽しく、LEDになったことで青の色合いが鮮明になり、映像がくっきりしたなあという印象がありました。
そして、先月のラスベガス訪問でさらに9年ぶり三回目のフリーモントストリート鑑賞に赴くことになりました。そして、三度目の感想は・・・
・・・実は、過去二回ほどの感動はありませんでした。もう三度目なので見飽きてしまった・・・のではなくて、ここ最近で似たようなLEDの大規模な照明ショーのようなものが世の中にありふれてしまったことに原因があります。20年前の当時は、何百もの電球を使う、そしてメンテナンスも大変という、ちょっとバカバカしいくらいの取り組みは相当珍しく、地球上でここでしかやってないという気迫もありました。しかし、LED導入時代に入り、誰でも大掛かりな照明ショーを施設に取り入れられるようになってそれぞれの価値が分かりにくくなってしまったのでしょう。
初めての体験の時には、「生まれて初めての体験」「世界で初めての光」を目の前にして圧倒されました。そして二回目は、いち早くLEDに切り替えそのスピードやキレのある光の動きに魅了され未来を感じた」のでしょう。しかし、三度目は「類似の光が世界中に蔓延し、めずらしくなくなった」のです。LEDテクノロジーの進化が、ある種の照明の夢・ドリームを具現化してくれたのですが、気が付けばそのデザインが過去のものとして葬られようとしているかのようです。
この一連の話を整理して考えれば次のようになるのかもしれません。つまり、沢山の人に感動を与える仕事、映画の制作や音楽、アート、スポーツ・・・そして照明にも共通して言えることは、困難な事柄に対して果敢に取り組むこと、本気な取り組みが見る人を魅了するということなのです。
このフリーモントストリートの場合は、最初の私の体験時に大きな感動を呼んだのは、出来そうもない事柄に手間とお金を惜しみなくかけても良いという勇気ある判断があったからにほかなりません。二度目の時にもLEDという新しい技術に夢を託したことが評価されたのです。そして二度目から三度目にかけての間には、それがなかったのかもしれません。LEDなのか白熱電球なのか?という論議ではなく、人の心に響くデザインはどうしてできるのか?
そんなテーマがここには隠されていたのです。
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