LEDの時代になって
これまで照明用の光源というのは、白熱電球のほうが暖かいし、心も温まるし、色も綺麗に見えるし良いんじゃないですか? 私を含めた照明デザイン業界では、そんな風に「白熱第一主義」を謳っていた節がありました。
とりわけ白熱電球の中でもローボルト(12V)ハロゲンランプは、他の白熱電球に比較して色温度がわずかに高く、すっきりとした印象の光です。当然演色性も高く、美術館や高級な宝飾店の照明デザインをまとめる時には、ここぞとばかり小指の先ほどの小さなローボルトハロゲンランプを光源とした照明器具を使ったものです。
また、公共施設などでどうしても寿命の長い蛍光灯を使わなければならない時も、「電球色」と表記された光源を選んでおりました。もう振り返れば三十数年間も白熱支持をしていたにもかかわらず、実は最近になって白色の光源も悪くないな・・・!と私の気持ちに何やら小さな変化が起きているのです。
白色光源と言えば
そもそも、なぜ今まで白色光は照明デザイナーに好まれていなかったのでしょうか?
それはその光源の特徴や質にあると思います。白色光源の代表格といえば蛍光灯でした。そして水源灯とメタルハライドランプ、いずれにせよこれらは放電灯と呼ばれる発光原理を持つもので、発光管に入っているガスに高圧電気によって隆起させ、そこから出る光、もしくは管内に塗布された蛍光体によって、赤、緑、青(光の三原色)の輝線スペクトルを発生させ、それらを混ぜて白く見せているのです。
当初は、効率よく光を取り出すことを最優先して開発されていたという背景もあり、一見白い光といっても自然光の白さとは全く別物の・・・、何と言うか非常にプラスチックのような、安っぽい感じを拭い去ることができなかったのかもしれません。それから低照度に設定した時の薄気味悪さ、光源の極端な眩しさ、調光がうまくできないものも多い・・・などの理由があって、まずは、白熱電球もしくは電球色を頼りにしていたのです。
街に白色が増えている
ところで、最近よく街を観察していると、自動車のナンバープレートを照らす光に白色LEDが採用されていることに気づきます。かつては、この部分は白熱電球の得意としたジャンルだったのですが、いつの間にかLEDに、そして白色光にお株を取られてしまいました。また、それよりずぅーっと以前にはヘッドランプが白色になっていました。まず最初はキセノンランプという放電灯(点滅がしやすい)になり、そして現在一番新しい車にはLEDが使われていて、いずれも白色の美しい光を発しています。
これは日本ばかりではありません。アメリカやヨーロッパでも同じ現象が起きているのです。これは一体どうしてなのでしょうか?
この理由は、白色のほうが発光原理から合理的に光を生み出すから・・・という単純なことだけではないのでしょう。白熱支持者だった私の目に、この状況がどのように映っているかというと、白いナンバープレートを白い光で照らしたほうがすっきりと見えて端麗な感じだと思いますし、白い光のヘッドランプは、実際に運転してみると遠くまでよく見える感じがします。でもこれは光源そのものがパワーアップしたからかもしれませんが・・・。
自動車の事例だけでなく、白色光源に対する以前のような嫌悪感は随分なくなってきました。それはLEDの白色は蛍光灯の白色などと比べると、格段に光色の質が上がってきていることに理由があります。実際、光を構成するスペクトルで比べても雲泥の差が出てきました。(まだスペクトルを語れるレベルに至らない白色LEDも多いですが・・・。)
色温度は適色適所
照明デザイナーの間では、以前は綺麗な光源=白熱電球という感覚があったような気がしますが、昨今は白色LEDの向上によって、白色も使っても良いなと思うようになりました。
かと言って、どこでも白色LEDにしてしまおうという話ではありません。先述のナンバープレートや公共性の高い場所などは白色を用いて、本来の目的を高めることが出来るでしょう。照明デザインのコンセプトによって低い色温度で統一することは人間の身近な環境ではとても重要な考えであることは普遍的なことだと思います。
ところで、かの有名なニューヨークの夜景を作っているのは、高圧ナトリウムランプというオレンジ色の道路灯です。これは今から45年前のオイルショックの際に電気代が高騰したための苦肉の策として発光効率の高い高圧ナトリウムのオレンジの光に切り替えられたのは有名な話です。安全性と経済的な合理性が街の明かりを作ってゆくのです。ひょっとしたら、長く続いたニューヨークのオレンジ色の夜景もいずれは白色に変わってゆくのでしょう・・・。
街を包むLEDによる新しい白色の光は、今の時代の象徴のような感じがします。この辺で白熱だけに固執する考えは改めなければならないようです。
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