Vol.97|ザハ・ハディドさんを偲ぶ

唯一無二の建築家
投稿日:2016,04,28
photo by LIGHTDESIGN INC.

4月1日の出来事

あの朝、とてもショッキングなニュースが入ってきました。世界的な建築家、ザハ・ハディドさんが3月31日にお亡くなりになったというのです。日本では翌朝のニュース番組などで訃報が報じられましたが、その日は4月1日のエイプリルフールということもあって、はじめは悪い冗談ではないかと疑ったほどです。

私は、ザハさんと縁あって27年ほど前に東京で何度かお目にかかり、近年では彼女の巨大建築プロジェクト4つの照明デザインを担当させていただきました。このブログ上でも過去に2回、ザハさんについてのお話をしております。今回は、追悼の意味も込め、今一度ザハ・ハディドさんについての話をしてまいります。



27年前のザハ・ハディドさん、そして今

ザハさんとの出会い、そして近年の建築プロジェクトについては、以前このブログの「vol.19 『伝説の建築家』との仕事」と、「vol.64 君はザハ・ハディドを見たか?」でご紹介させていただいておりますので、今回はこれらのブログとは違う切り口からザハ・ハディドという偉大なる建築家の人物像に迫ってみたいと思います。

初めてお会いしたのが1989年、東京に建つ予定の2つの小さな建築プロジェクト照明デザインの提案を直接ザハさんにいたしました。写真はその時のものです。へたくそな英語を駆使して冷や汗だらけの説明でしたが、このように温かく受け止めていただいたことを思い出します。その後の会話の中で記憶に残っていることは、当時のザハ事務所が極めて小さく、スタッフは4人しかいないということでした。

それが、21世紀に建築設計が3Dキャドとなり、そのデータがそのまま建築のパーツの制作につながったおかげで、これまで建設ができなかった彼女の複雑な建築造形が建設可能になり、いまや世界中で彼女の建築プロジェクトが展開されるようになったのです。そしてスタッフの数も今や500名を超える規模だというのです。スタッフの数だけ聞いても、初めてお会いした時から比べると100倍以上です。もちろん、27年前から偉大な建築家として既に有名でしたが、何がそんなに凄いのか?そしてどうして今これだけ世界中でザハ建築が人気を呼んでいるのか?について考えてみました。



ザハ・ハディドの巨匠たる所以

Galaxy SOHO(北京) photo by Toshio Kaneko

昔から彼女はなぜこんなに凄いのだろうとよく考えましたが、今思えば、モノづくりに携わる人間としての度量の大きさかもしれません。

建築の設計や建設にかかわっている人には、共通する感覚や仕事のやりがいというものがあります。それは自ら思いついたアイディアを第三者に説明し、それを共有する歓び、そしてそのアイディアが現実のものに出来上がるダイナミズムを感じ、完成した時にはさらに大きな歓びが必ずあるのです。どんなに困難なことがあろうとも、この完成の歓びを強くイメージし、完成まで頑張れるような気がしてきます。そして建築・建設にかかわる多くの人は、この完成の歓びを分かち合い、次なる仕事への力としているのです。

しかし、ザハ・ハディドという人は大学を卒業してから建築が建ち始めるまでに30年以上かかっています。世の中では“アンビルドの女王”などと詠われています。この表現には彼女の物凄い執念と気高い気質が見え隠れしていると私は思います。つまり、約30年間ものあいだ、普通の建築家が味わう完成の歓びを一切味わうことなく、ただひたすら自分の信じる建築のピュアなデザインだけに打ち込み、一切の妥協をせずに、建築を考え続けていた訳です。これにはすさまじい精神力が必要だったことは想像に難くありません。

普通だったら、そんな長い年月も実現がなければ、世の中に迎合して自分の考えを曲げてしまうか、あるいは心が折れてしまうのではないかと思います。実務上の歓びや自分の建築が社会に迎え入れられる充実感などには目もくれずに、もっと大きなものを求めて、ブレることなく仕事を続けてこられたのは、まさに超人的な凄さと感じます。

私が2008年ころからかかわったプロジェクトは北京に完成した33万平米のオフィス・商業コンプレックスビルであるギャラクシーSOHOというプロジェクトでした。ザハさんは、このプロジェクトの建設期間中には建築現場にほとんど足を運ぶことはありませんでした。きっと、彼女の頭の中には、すでに建築は完成されており、古代から連綿と続く建築の意味さえ塗り替えるほどに先を歩んでいった建築家なのではないかと思うのです。



人を巻き込む温かさと豪快さ

ザハ建築の照明デザインを担当しているとは言え、最近では遠目からザハさんをお見掛けするくらいの機会しかありませんでしたが、やはりタダ者ではない雰囲気というか、オーラが出ているような、とても存在感のある方というのが彼女の印象でした。

実際とてもパワフルな方で、スタッフの方に聞いた話では、事務所で夜中までプロジェクトの打ち合わせをして、それから何名かのスタッフを連れて彼女の自宅に行き、そこで手料理を振る舞い朝まで話を続けるのだそうです。しかし、翌朝は何事もなかったかのように事務所に出て来るという、なんともパワフルな生活を送っていらっしゃったそうです。

私も初めてお会いしたときに感じたのは、温かさや、この人に巻き込まれたいという気持ち、そしてその豪快さがゆえに、明日から何か起こりそうだという期待感だったように思います。
まさに、稀有、天才、ダイナミックかつ繊細、唯一無二、世界をリードする人物・・・、そんな言葉で表されるのがザハ・ハディドという人物像だと思います。我が進むその道を捉え、切り拓く姿勢は、周囲を気にしがちな日本人にはなかなか真似しにくいかもしれません。

そんな強靭な精神力で走り続け、走り切った私たちの指導者が、急にふぅっといなくなってしまったのは、世界に大きな穴が開いたように、非常にむなしく残念な気持ちでいっぱいです。
最後に私はザハ・ハディドさんに直接会お会いできたこと、言葉を交わしたこと、建築に携われたことを光栄に思います。どうぞ安らかに眠ってください。
謹んでご冥福をお祈りします。

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PROFILE
東海林弘靖 / Hiroyasu Shoji

1958年生まれ。工学院大学・大学院建築学専攻修士課程修了。
光と建築空間との関係に興味を持ち、建築デザインから照明デザインの道に入る。1990年より地球上の感動的な光と出会うために世界中を探索調査、アラスカのオーロラからサハラ砂漠の月夜など自然の美しい光を取材し続けている。2000年に有限会社ライトデザインを銀座に設立。超高層建築のファサードから美術館、図書館、商業施設、レストラン・バーなどの飲食空間まで幅広い光のデザインを行っている。光に関わる楽しいことには何でも挑戦! を信条に、日本初の試みであるL J (Light Jockey)のようなパフォーマンスにも実験的に取り組んでいる。




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